珠星グループ成り上がりの軌跡
珠星グループ第21代会長ペドロ・クワバラが退任時に発表した文章

珠星グループ成り上がりの軌跡

ある人は言った。「成り上がり」は悪い言葉だと。
私はこう言った。人は悪行で善行をなす覚悟を持つべきだと。
——まえがき。

当初、我々はプラモデルを商売にしていた。その頃はまだ「珠星グループ」ではなく——さほど知名度のない「珠星スタジオ」だった。そういえば、創業者の苗字は「諸星」なのだが、スタジオの登録時にその名はすでに使われていたため、「珠星」に変更したのだ。

そしてひとつの時代が過ぎ去った。プラモスタジオとしての「珠星」は、数万種類にも及ぶ流行のおもちゃを生み出したが、他の産業に手を伸ばすことはなかった。真の変革が訪れたのは、2代目会長「マイク=スミス」の代だ。彼はスターピースカンパニー「戦略投資部」からの出資を取り付け、少々名の知れたプラモスタジオを、一流のエンターテインメント企業へと生まれ変わらせたのだ。

だが、何事も順風満帆とはいかない。「珠星スタジオ」から「珠星グループ」へと成長した後、我々も当然のように「市場開拓部」からの圧力に直面することになった——彼らは二相楽園の原始株主を自負し、戦略投資部の影響力が自分たちを上回ることを望まなかったのだ。マイク=スミスは49歳の時に殺害された。正気を失った幻造種が高架橋の上から、彼が運転する車に石を投げつけたのだ。スピードが出ていたため、マイク=スミスは即死だった。そして犯人の幻造種も、調査員が駆けつける前に崩壊し、初の群れになってしまったという。

マイク=スミス亡き後、「珠星」は長期にわたる混乱を経験し、長い間戦略投資部の増資に頼って生き延びるしかなかった。しかし、その状況は第19代会長「トーマス」の指揮下でようやく安定を取り戻した。トーマスは「珠星」に加わる前から二相楽園の名の知れたエンターテインメント・プロデューサーであり、「珠星」の株を取得した後、数多くの企画を成功させ、グループ社員の待遇も大きく改善させた。こうした一連の対応は社内の団結を高めると同時に、市場開拓部の低賃金戦略を打ち砕き、我々が二相楽園のエンターテインメント市場で支配的な地位を確立する決定的な要因となった。

トーマスは50年間勤勉に働き、85歳で引退した。その時すでに「珠星」は星間メディアグループとなり、二相楽園のあらゆる大衆娯楽プロジェクトに関わっていた。トーマスの後、短期間会長職を継いだのがケント氏、その次が私、ペドロ・クワバラだ。私をあの「1人目の天才」の子孫だと言う人もいるが、それは苗字による誤解にすぎない。第21代会長として、私は財団にこれといった貢献はできなかった…もしひとつ挙げるとすれば、皆のために第22代会長「パール」を選んだことくらいだろう。もっとも、この決断が正しかったかどうかを検証するには時間が必要だ。それは彼女、そして皆に課されたものである。

ペドロ・クワバラ
珠星グループ第21代会長
退任に寄せて