サーシスの二元性について
ある知種学派学者の著書。サーシスに対する、樹庭の古い認識を打ち破った。

サーシスの二元性について

はじめに
歴史記録を持つ世代において、タイタン研究はすでに名高い学問となっており、長く栄え続けてきた。しかしサーシスに対する探究は、昔も今も上辺に留まっている。知種学派の学者として、私はどうしてもこの現象を皮肉に感じてしまう——理性に対する研究だというのに、その研究自体が理性の深さが欠けているからである。

私は長きにわたる研究の中で、一つ興味深い現象に気付いた。理性の化身として、サーシスが表す性質は、純粋なロジックではなく、微妙な二元性である。この二元性は、形態の選択だけでなく、サーシスが世界に影響を与える方法からでも観測できる。

形態の謎
ここでまず、基本的な問題から考えてほしい。なぜ理性の化身は巨木の姿で世に降り立ったのか?そもそもこの形態の選択に、深い意味を持っていると思いたい。神悟の樹庭の古書の中にも、この問題に対する思考が記載されている。幾何学的な形態を拒否しているからと考える学者もいれば、「理性は現実に根付くべきだ」と暗示していると推測する学者もいる。
友愛の館で保存される記録によると、サーシスが最初に大地に根を広めたのは、まさに造物紀初期であった。当時の世界は混沌と不確定性に満ちていたが、サーシスはその根で自分自身を大地と深く繋ぎ合わせ、この選択を通して「理性は自然を凌駕するものではなく、現実の土壌からでしか芽生えないモノである」ことを暗示した。

理性の二重権能
自分の研究を通して、「サーシスの権能には、矛盾する2つの要素が混在している」ことがわかった。それはつまり「理性的な考え」と「生命を育むこと」で、他のどのタイタンからでも見受けられなかった二元性だ。神悟の樹庭のドリアスから、このような二元性をよりハッキリと観測できる。ドリアスは哲学的な思考をすることができると同時に、原始的な生命力を保つこともできるからだ。
最近、聖樹の年輪に対する研究からも、わかったことはある。年輪の成長モードには驚くべきパターンがあり、そのパターンは古代の数学者がまとめた「黄金分割」と酷似しているということだ。「理性の礎は、自然のパターンに対する体察から来ている」ことを暗示するような現象である。

知識と生命の統一
対立しているように見えるこの二つの特質を、サーシスはいかに完璧に統一できたのか?その答えは、神悟の樹庭の歴史にある。聖樹は知識の守護者であり、生命を育む者でもある。閃きの火花が樹庭に現れるたび、巨木は露を生み、新しい思想を育む。育まれた思想はまた養分となり、生命の成長を促進する。
特に注目すべきは、落涙の浄化室のデザインだ。低温は脳を活性化させ、思考を促進する効果をもたらすと一般的に思われた。しかし私が研究を通して見つけた答えだと、この寒さは一種の浄化であり、求知者を生命の最も本来の状態に戻すことが目的である。儀式のように見えるこのデザインは、まさにサーシスの「理性と生命の二元性」を体現している。

啓示
私たちがいるこの時代において、この発見は特別な意味を持っている。猛威を振う暗黒の潮に居場所を奪われた時、理性的な計算は私たちを絶望に追いやってしまうことがある。暗黒の潮から逃げる旅で、私はたくさん見てきた。理性にだけ頼る者は最後まで生き残れないが、理性と生命の呼び声を両方耳を傾ける者は、却って苦境の中を生き延びやすい。
私たち知種学派の研究もそうだ。凡人からより上位の存在への転化を求めるなら、冷たい錬金術の計算にのみ頼ると、失敗は免れない。真の変化を遂げるには、理性の二元性を理解しなければならない。それは思考の導きであり、命の律動でもあるからである。

結論
サーシスの二元性に対する研究を経て、一つ重要な結論を出した。理性は我々が今まで認知しているような単一なモノではない。それは思考方法であると同時に、生命の律動、知識の源泉、そして成長の原動力でもあるのだ。サーシスがオンパロスの秩序において特別な存在になったのは、こういう二元性を持っているからだ。
この論文を書いているとき、私は神悟の樹庭で見たドリアスをふと思い出した——光の下で枝の葉を伸ばしていくドリアスは、最も理性的な成長法則を守っていると同時に、最も生き生きとした生命力を見せている。恐らくこれが、サーシスが私たちに残してくれた最も直接的な啓示かもしれない——「生命と共存共生するのが真の理性である」。

[※本文の論点の一部は、神悟の樹庭にある聖樹の年輪に対する実地考察に基くモノである。知種学派の同仁による多大な協力と助言に感謝の意を表する。]